過去の記事でも何度か書いているのですが、星野源『桜の森』が死ぬほど好きです。
まずとんでもなくエロい。詩もメロディも歌声もとんでもなくエロいしエモい。
聴いてると「あああ助けて〜〜」と目眩がするほどに性癖ドストライクな一曲なんです。
ですがこの曲に対しての思い入れはもう一つあって。
それは坂口安吾の作品、そして野田秀樹の『贋作 桜の森の満開の下』をイメージさせられるからです。
実は超個人的な話ですが『桜の森』の発表前に上記作品を卒論で扱っていた私。運命を感じざるを得ない。
だからこそ曲を聴く度に作品のイメージが頭に浮かんでゾワゾワワクワクとした気持ちになります。
星野源が『贋作〜』からインスピレーションを得てというはっきりしたソースを知らないし、『桜の森』の解釈は(それこそどエロいものを含め)それぞれ色々だと思うのですが、この世界観を知ってマイナスはないんじゃないか、と思いこの度まとめてみることにしました。
あくまで「こんなのもあるんだね」という目線で見ていただければ、そしてより一層『桜の森』を楽しめる要因になれれば嬉しいです。
※ストーリーのネタバレありです
『贋作 桜の森の満開の下』とは
坂口安吾の原作『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』をベースに、“坂口安吾の生まれ変わり”を自称する野田秀樹が作り上げた戯曲。
1989年の初演から最新は2018年の再演まで約30年に渡って4回も再演が行われている、もはや野田秀樹の代表作と言える作品です。
この『贋作 桜の森の満開の下』の特徴は前述の通り、坂口安吾の2作品をベースに作られていること。
なのでまず原作それぞれのストーリーを紹介します。
『夜長姫と耳男』あらすじ
長く目立つ耳を持つ青年・耳男は飛騨一の匠と呼ばれる師匠の代わりとして夜長の里へ赴く。
そこで長に命じられたのは集められた3人の名人で競いながら13歳になる夜長姫の護身仏を彫れというもの。
しかし姫に耳を嘲笑われた耳男は化け物の像を彫ることを決意。
宴の席で勝者にはエナコという娘を与えると告げられる3人だったが、エナコに耳をバカにされた耳男は言葉を返し怒りを買い片耳を切り落とされてしまう。
詫びにとエナコを自ら殺して良いと言われる耳男だったが拒否。夜長姫の命によりもう片耳も切り落とされる。
そこから3年間小屋で、耳を切り落とした時の姫の無邪気な笑顔を思い出しながら、蛇の生き血を絞り滴らせた化け物の像を完成させる耳男。
完成した化け物の像をいたく気に入る姫だったが、もう用無しになった自分の命はないと思った耳男は姫の笑顔の像を彫らせて欲しいと願い出る。
その頃村では疫病で人々が毎日の様に死んでいった。キリキリ舞いをしながら死んでいく様をはしゃぎながら話す姫を見て「このままでは姫が村の人全てを殺してしまう」と確信した耳男は夜長姫の胸を錐で刺してしまう。
「サヨナラの挨拶をして、それから殺して下さるものよ。私もサヨナラの挨拶をして、胸を突き刺していただいたのに」
ニッコリと笑い死んだ夜長姫を抱きながら、耳男は気を失ってしまうのだった。
『桜の森の満開の下』あらすじ
満開の桜といえばお花見で賑やかになり美しいイメージがあるけれど、人間がいなくなれば恐ろしいものである。
鈴鹿峠の桜も同じで満開の季節になるとそこを通る人は気が狂いそうになり、いつしか誰も通らなくなった。
そんな山に1人の山賊が住んでいた。
山賊はある日都で美しい女に心を奪われ、その夫を殺し自分の女房にしようと背中におぶって山へ攫っていく。
しかしこの女が恐ろしくワガママで残虐。
元々いた山賊の妻を7人殺させ、山奥は嫌だと都に戻り、暇つぶしにと山賊に人の生首を獲らせ「首遊び」をし出すのだった。
山賊はこの女は何かに似ていると気づく。そうだ、あの桜の森の満開の下だ。
人を殺すことにも都の暮らしにも飽きてきた山賊は女に山へ帰りたいと訴え、その言葉に折れた女とともに山へ帰ることに。
その道中、出会った日と同じ様に女を背負いながら例の桜の木の下を通る山賊だったが、ふと背負っているのが妻ではなく鬼であると気づく。
桜の木の下で鬼の首を絞め殺す山賊。生き絶えた姿を見るとそれは美しい女だった。
泣き続ける間に女に積もった桜の花びらを手で払おうとすると、そこには女は無く花びらがあるだけ。そして山賊もまた花びらとなり消えて行くのだった。
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これらの共通点は恐ろしい女に男が惹かれていく様、そして自らの手で女を殺してしまうということ。
この2作をベースにした戯曲が次の『贋作 桜の森の満開の下』です。
『贋作 桜の森の満開の下』
物語はヒダ匠の名人である耳男が「森びこ」と語る鬼女達と桜の樹の下で「桜の花との約束」について語る場面から始まります。
天智天皇が支配し、ヒトの世界とオニの世界がある時代。
匠の師匠と間違われヒダのクニへ連れ去られた耳男は、他に集められたニセモノの名人(マナコとオオアマ)と3人で夜長姫の護身仏を作ることを命じられる。
無邪気で残酷な夜長姫に耳を切り落とされ、翻弄されながらもどこか姫に惹かれていく耳男。
天智が死去し、オオアマとしてその座を狙っていた天武が支配者となり、オニを排除した世界を作ろうとする中、オニ認定をされた耳男は「クニにはオニがいなくちゃいけない」と夜長姫と一緒に逃げ出す。
桜の森の木下で、背中に背負った姫がオニの姿をしていることに気づき、胸を突き刺す耳男。すると鬼の面が取れ、姫の笑顔が。
満開の桜の森の下に座り込む耳男。それを囲む様に鬼女達が…
(めっちゃくちゃ複雑なので猛烈にざっくりです;;)
星野源『桜の森』の共通点
鬼の存在
『贋作~』ではニセモノ達の思惑が交差する世界を見守る様に様々な場面で鬼達が登場。
その存在は常に無視され隠され虐げられる存在として描かれています。
時に生き延びるために人間の様な姿に身を写しながら、見守り、囁き、混乱させ、誘導するオニたち。
『桜の森』を聴いて一番に『桜の森の〜』じゃん!と思った点が、鬼の存在でした。
「泣かないで待ってる 散らないで待ってる」
『贋作〜』の冒頭、耳男はオニとの会話で「約束」という言葉を使います。
鬼女「今日でなくちゃいけないのかい?」
耳男「今日でなくちゃいけないんだ」
鬼女「昨日もそう思ったんだろ?」
耳男「昨日もそう思ったんだ」
〜略〜
鬼女「桜の花と約束したのかい」
耳男「桜の花が咲くから、それを見てからでかけねばならないんだ」
桜の森の下は恐ろしくじっとしているのも不安になるほどだけれど、どうしても行かないといけない。何故かはいってみないとわからない。
「待ってる」という言葉だけですが、恐ろしくもどうしようもなく惹かれる桜=女を表した「約束」を彷彿とさせるなと思うのでした。
・「花びらに変わる君を見つめているよ」
そのままラストシーン…
「僕はただ見てる それをただ見つめてる」
・『贋作〜』の中のセリフ
夜長姫「いいえあたし、ただ、じいっと見ているのが好きなだけ」
耳男「なにを」
夜長姫「なんでもよ。なんでも見ていると、しまいに、なんでも見えてきて、そのうちなんでも見つけてしまうの」
・桜の花びらになった姫を見つめる耳男の姿
・繰り返しのセリフ達
野田節といってしまえばそれまでですが、言葉遊びの様に言葉をリフレインさせる様やリズミカルな台詞回しも、『桜の森』の歌詞とリンクするなと思うのでした。
作品世界の魅力
坂口安吾の原作2作を主にしてですが、この作品世界の魅力は美しさと恐ろしさの共存だと思っています。
美しさと恐ろしさ。恐ろしいけれどどうしようもなく惹かれてしまうもの。それらは表裏一体なのです。
『贋作〜』の中ではこんな風に語られます。
夜長姫「あなたは、どこでときめくの?」
耳男「オレの場合は、いつも、桜の森の満開の下です。こわいのだけどときめくんです。頭の上から爆弾でもおちてくるようなすさまじい音が聞こえてくるようで」
夜長姫「それでいて、物音ひとつしないんでしょ?」
耳男「ええ」
〜略〜
夜長姫「こわいけどもときめく?」
耳男「ええ、まあ」
夜長姫「では、あたしと歩けば、どんな森も桜の森の満開の下ね」
あああああたまんなく好き。
それは満開の桜であって、それは女であって、それは恋にも似ている。
作品全体がグロテスクで残虐でもあるんですが、決して不快でないのは恐ろしいだけでないからで、耳男と同じように無邪気な美しさにゾワゾワと目が離せなくなるからで。
これって星野源の作品ともシンクロしてるなと感じるなというか。
『桜の森』の曲にこんなにも惹かれてしまうのは、こんな作品世界と同じような儚げで切なくてでもポップでとっても美しいからなのだろうなと思うのでした。
まとめ
坂口安吾の原作を組み合わせて野田秀樹が「贋作」として自分のものに作り上げたものが『贋作 桜の森の満開の下』で。
『桜の森』がこれらの作品のイメージを含んでいるとして、これらを更に落とし込んでいるというのはまた面白さがあるな〜とも思います。孫みたいな。違うか。
私のざっくりとしてものでは伝わり辛いかもしれないのですが、作品たちを知った後だとまた『桜の森』を聴く時の儚さやエモさが深まるのではないかなと、そうであったら嬉しいです。
(例えエロい方向だったとしても、男女の感情のどうしようもない感が増してますますエロくなる気がする)
星野源の暗方面の文体が好きな方には坂口安吾の2作はハマるはずなので、ぜひ読んでもみてほしいです。
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