毒にも薬にもならないブログ 

サブカル大好き20代半ば女子が運営する猛烈雑食な雑記ブログです 映画・舞台・音楽・星野源 twitter@ninoude_punico

祖母の葬儀と星野源『ストーブ』

今年の夏、母方の祖母が亡くなりました。

私にとっては初めて向かい合う「死」でした。

普段あまり暗いことは書かないようにと思っているのですが、49日を過ぎてもなお初めて出会う感情にいまだに戸惑っている最中なので自分の整理のためにも書き出してみます。

 

祖母の病気を聞き、最後のお見舞いに行き、初めての葬儀に出席し、49日を終えてと一通りのことを体験してまず思ったのは、私は今まで20数年生きてきて本当に何も知らなかったということ。

知らない事があまりにも多過ぎた。

ゆえに、出来なかった事も数え切れません。

 

祖母の病気が分かったのは1年前でした。

東北で祖父と叔父家族と共に暮らす祖母は病気が判明してからも、入退院を繰り返すよりも今まで通り孫たちの世話をしながら日常を過ごしたいと希望し、大きな手術もしない選択をしたといいます。

すごく祖母らしいなと思いました。

それでも70を過ぎたとは言えずっと元気だった祖母と残りどれくらいの時間を過ごせるかわからないこと、確実な「終わり」があるのだという事実にショックを受け涙が止まらなかったのを覚えています。

 

最後のお見舞いに行けたのは今年の夏で、その時点で本当に最後になるかもしれないから出来るだけ早く、と言われての帰省でした。

自分の結婚式を終えて一週間後。

 1年ぶりに会った祖母は私の良く知っているふっくらした祖母とは違ってすっかり痩せてしまい表情すら違って見えて。かなり動揺しました。

どうしていいか分からず変化には何も触れられず、病気の事にも触れられず、何もなかったかのようにいままで通りに接することが精一杯。

この時点で母はもう数ヶ月も祖母の元で泊り込みをして日々のお世話をしていて、病院でもあれこれと用意したり気を配っているのに、私は何もできずにただ突っ立っているだけ。

祖母は何度も母に「ごめんね」と謝っていて母はその度に笑って「今までお世話してもらったんだからいいのよ」と応えていてその姿をみるのもとても辛かった。

リビングには大きく印刷された私の結婚式の写真が飾られていました。

 

別れ際、ベッドに座る祖母は私に「おばあちゃん、良くなるかわからないけどまた遊びに来てね」と笑顔で言った。

 

最後だと分かってた。

頭では分かってたのに「ありがとう」を伝えることも、手を握ることも出来なかった。何が正解で何が間違ってるかなんて無いと今は分かるのに。

 「うん、すぐ来るよ。無理しちゃダメだからね」なんて誰にでも言える言葉しか出てこなかった。

 

 

それから1ヶ月後、葬儀の日はあまりにも実感がありませんでした。

火葬の時、母が泣きながら「しょうがないね」とポツリと言ったのだけ今も耳の奥に残ってる。

母を支えなきゃ、祖父の側にいなきゃという気持ちで冷静を努めていたせいもあるけれど痩せて冷たくなった目の前の祖母の姿にあまり実感がなかった。

だからか、お化粧をした姿にも棺に入った姿にもまた声をかける事ができなくて。

周りに促されても喉がぎゅっと締まるように思うように声が出てこないまま結局最後の最後まで何も言えないまま。

葬儀の間中、自分を責め続けました。

帰りの新幹線に乗りながら、次に帰った時にはもう祖母はいないんだとようやく実感が湧いてきました。

どうしてもっとありがとうって、今まで沢山愛してくれてありがとうって言えなかったんだろう。

ただただ後悔ばかりが痛いくらいに残りました。

 

 

そうして葬儀から暫く経ったある日、シャッフルで聴いていたiTunesから星野源の『ストーブ』という曲が流れてきました。

これまで何度も聴いてきたはずの曲なのに、自分の中の何かが崩れ落ちるような思いがしました。

 

以下、歌詞の抜粋です。

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そろそろストーブをつける頃

小窓のあなたも 煙になる

泣くだけ 従姉妹は手伝わぬ

別れの言葉は喉の中

 

止まった体は どこ行くの

眩しい 青空 煙は行く

そろそろストーブが消えた頃

お酒を飲み飲み鈍らせて

 

長く続く日々の 景色が変わるよ

見えぬ明日 足がすくみ うつむけば

見覚えのある気配が 手を引くよ

 

固く閉じた扉 開いておはよう

残る君のかけら そっと拾うよ

 

細く伸びる煙 両手を合わせて

君のいれものに

またね さようなら

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涙が止まりませんでした。

 

火葬をストーブと表現するだけで、なんて日常に変わるんだろうか。

私にとって初めてで大切な人の死という大きな隙間を、人生の、生活の一つとして落とし込んでくれたような気がしました。

何か、物凄くほっとしたのです。

 

そして「別れの言葉は喉の中」というフレーズ。

ああ、私だけじゃないんだなって。一番心につっかえていたものが、ほんの少し和らいだ気がしました。

それでも後悔は消えないけれど。

それでも、救われた気がして。

 

私は本当に何も知らないまま生きてきたんだと思います。

人が亡くなるということも、その時何を感じるのかも、何をすべきかも、何もかも。

きっと今まで私が見てきた本や映画の死も全て私が思っていたものとは違うものだったのだろうし、何も分からないまま生きてきたんだと思う。

49日を終えて、仏壇やお墓に手を合わせるという意味が初めて心からわかった気がしました。そして手を合わせる度に祖母に会いたくて仕方ないんだと思い知ります。

そしてこの先長く続く「祖母のいない世界」の事も分からない。景色の変わった日々の中、知らない世界に何度も出会うんだと思う。

そんな景色知りたくはなかった。この先も知りたくないのに。

すごくすごくさみしいよ。

 

祖母の死が近づいていると分かってから、少しでも受け入れやすい様にと初めての葬儀を脳内で何度もシュミレーションしました。

そして火葬に立ち会い骨を拾う行為は恐ろしく非現実的で、かつ耐え難く思えて私には無理だと逃げたい気持ちでいました。

けれど実際骨に向き合うと不思議なくらいフラットな気持ちで、呆気なく終わった。

私にとっての初めての死は、見聞きしていたような劇的なものではなかった。だからなのか、まだ亡くなるということ、いなくなるということが分からないでいます。私にとってはまだ嘘のようでとても共存して生きていける気がしていない。

 

骨は「君のいれもの」だ。そこに居なくなっても消えるわけじゃない。

受け入れたくなくても悲しくても不安でも後悔しつづけてでも私の長い生活は続くし続けなきゃいけない。

だからこそ『ストーブ』のような、これくらいの温かくて何でもないような表現に救われるなと思うのです。

いつか心から受け入れられる日が来るのでしょうか。

分からないけれど、それでも知らない景色、知らない日々を超えていつかまた必ず会えるように。

今は手を合わせることしかできないけれど。

 

いつか言葉にして伝えたい。

だから。

さようなら、またね。 

 

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