こんにちは、プニ子です!
ごめんなさい、『コウノドリ2』、2話の感想を放置したまま3話を書きます。
どうしても書かずにはいられないシーンがあったからです。
それは物語終盤。
今回のメインとなるのは1話目で出産をしたメアリージュンとナオト・インティライミ夫婦。
仕事と育児の両立を求める妻と分かってるようで全く分かっていない夫の問題フラグがついに爆発します。
そして今回取り上げたいのは、そんな孤独に戦い産後うつになり病院の屋上で自殺を測ろうとした妻に対し、病院に駆けつけたインティライミが声をかけるというシーンでのこと。
担当医、四宮のセリフを見てもらいたいのです。
以下書き起こし。
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インティライミ「大丈夫か…どうしてこんなことを…言ってくれよ。夫婦は二人で一つってお義母さんも言ってたじゃない」
四宮「なんだそれ」
「人間は二人で一つになんかなれない。死ぬまで一人だよ。たとえ夫婦でも別々の人間だからこそお互いを尊重し合う。それで初めて助け合えるんだろう」
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かなりびっくりしました。
ただの星野源じゃねえか…!!!
そう、「二人で一つになんかなれない」「死ぬまで一人」というのはまさに星野源と言う人間を体現するようなフレーズだったからです。
例えば彼の歌にこういう歌詞があります。
"世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう"
------『ばらばら』
”どんなに近づいても一つにはなれないから
少しだけ せめて”
"きつく抱きしめても二つしかなれないから
少しだけ 長く"
------『肌』
「人は一つになんかなれない」「ふたつのまま」。
こういった考え方は「二人で一つだ!」という言葉よりも一見冷たい印象を受けます。
でもこのブログでも何度も書いていることですが、これは決して他人を拒んだり突き放しているということではなくて。
違うからこそ愛おしい。違うからこそ知りたい。
違うからこそ尊い。
ここでいう「一つになれない」ということは、違うことを認め合って初めて本当の意味で重なり合い支え合えるんだということだと思っています。
だから「ふたつ」として並んで生きていく。
これってある意味めちゃくちゃに相手を受け入れてくれる考えだと思うのです。
そしてこれこそがこれを歌う星野源の星野源たる部分を作っている考えだと思う。
一方で。
今や何を言っても「なんだこいつ」としか思えない、恐ろしいほどのヘイト製造マシーンと化しているインティライミは、結局自分しか見えてないんですよね。
自分の定規でしか物事を測れないから「なんでそんなにイライラしてるの」発言が出ちゃうし、自分と妻を同化しているから「言ってくれりゃあ協力したのにさあ」とかいうアホでも言えそうなフォローが出てくる。
おいお前自分の妻が自殺測ろうとしたんだぞと。アホかと。
そんな、自分と同化しすぎて相手が見えなくなったり、全てを理解していると思うことは何よりも独りよがりな人間に「言った」ところで、結局自分の定規で測るからメアリージュンの考えなんて入ってこないのだ。
そんな中ぶち込まれた今回の四宮のセリフ。
ああ、あああ四宮よ。
というか星野源よ。
このセリフを星野源に吐かせるのは、原作があってなのか星野源があってなのかはわかりません。
正直、私はドラマという世界観を見ている時にモロの当て書きのようなセリフをぶつけられると現実に戻ってしまい嫌だなあと思うこともあります。
今回もその瞬間「こいつ星野源じゃねえか!」としか思えなかったし。
しかし、それでも役者のもつ「その人にしか言えないセリフ」というものには物凄いパワーがあるもので。
今回あのシーンでインティライミに対し四宮が言ったセリフは、確かに星野源が演じる四宮だからこそ伝えられるパワーがあったんだと感じました。
もしこれが原作にもある四宮のセリフなのだとしたら、最初に四宮を星野源にキャスティングした人が天才だわ。
今回の四宮の言葉を通し、インティライミ夫婦がどう変わっていくのか。
今後が気になります。
インティライミの最後の「イクメンじゃなくて父親になるよ」の言葉。
…俺を信じさせてくれインティライミよお…!!!
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