『シェイプ・オブ・ウォーター』、アカデミー賞作品賞おめでとうございます…!(パァァン…!)
実はバッチリ公開初日(4月1日)に観にいった私。
正直にいうと目を背けたくなるようなシーンもかなり多く、個人的には中々にショックを受けて家に帰ってきました。辛かった。
なのにそれでもストーリーはギャアアと叫びたくなるほどに刺さりまくり、時間が経つほどに作品テーマの重みを感じてくるような映画で。
だからこそしっかり感想を書きたいと思い、ウンウン唸っている内にあっという間に日にちが経ってしまい、感想としてはもうだいぶ今更感溢れるなあと物凄く悩んだのですが…
かなり断片的すぎるかもと思いつつ、自分の為のメモだと吹っ切って気楽に書きたい部分だけをバンバン書いていくことにしました。
ぜひ良かったら読んでみてください。
以下、ガンガンのネタバレです。
あらすじ
舞台は1962年のアメリカ。声の出せない主人公・イライザは政府の研究施設で清掃員として働いている。
ある日、イライザは清掃を任された一室で研究のため連れてこられた半魚人に出会う。
お互いに惹かれ合い心を通じさせていくイライザと半魚人。
しかしその命が危険に晒されていることを知り、友人と共に彼を救出しようとするが…
イライザ役サリー・ホーキンスの少女性
まず、まず言いたいのがイライザ役のサリー・ホーキンスについて…!!
『パディントン』のママ役でも物凄く感じたのですが、彼女の内から出る少女性というか少女感というかはなんなんでしょう。
本当に失礼ながら「おとぎ話」のヒロインというには、年齢も40代であるしザ・美人という華やかさがあるわけでもないのですが、物凄くものすっごく可愛らしいの…!
冒頭すぐに入る自慰行為もね、半魚人とのセックスもね、その「そのシーン入れるの!?泣」という生々しさたちを、ギリギリ「おとぎ話」に落とし込むことを可能にしているのは彼女の内から出ている少女感なんじゃないかなと思うのです。
より一層自分の中で大好きな女優さんになりました。
ストリックランドと指
ストリックランドのシーンはどれもショッキングで個人的にとても辛いポイントが多かったのですが、中でも指、指なのです。
作品内で度々とっても印象的に映されていた、ストリックランドの指。
千切られた彼の指は、彼の「失敗」。
なんとか繋ぎ止め、元通りに治ることを願うものの、元通りどころか悪化していくばかりで真っ黒に腐りどうしようもなくなってしまう。
最終的に自分で力任せに切り離すが(痛すぎる!泣)、すでに遅し。
自分の一部だけであった失敗はいつしか自分自身を大きく蝕んでいたのである…
この指を通して、半魚人を絶対に捕まえなくてはいけない焦りと後戻りできない絶望感がバチバチに現れていて指の変化が見られるたびにゾワゾワしました。
「色」について
シェイプオブウォーター といえば、あの綺麗な青緑…!
ジャイルズがイラストを見せた際に元同僚に言われる「赤はだめ、今は緑だ」の言葉や、気になる店員のいるカフェで買ってくるキーライムパイなどあちこちに散りばめられた小物たちだけでなく、映像そのものが青緑掛かっていて。
鑑賞中、ずっと深海にいるようなしんみりひっそりした気持ちがしました。
また、青緑といえば半魚人。
ストリックランドの周りにも、新しい車や妻がデザートに出してきた緑色のゼリーなど気づけばどんどん青緑のものが増えてきているのが、ストリックランド対半魚人の攻防戦のようだなーと思ったりしました。
彼がずっと食べまくっているキャンディーの色も緑なのも面白い。
マイノリティーの声
この映画は、おとぎ話のような世界観や映像の美しさに惑わされそうになるけれど、見ていくうちに「苦しい…リアルすぎて苦しい…!!」となってくる、非常に生々しい作品だということが分かってきます。
主人公・イライザは発音障害かつ首に傷を持った孤児。隣人のジャイルズは同性愛者。同僚のゼルダは黒人。
彼らは当時のアメリカにおいての「声を持たない人々」である。
思わず浮かんでしまった「なんでイライザはそんな簡単に半魚人の管理室に忍び込めるんや…」という疑問も、このことに気づいてからは納得してしまいました。
声を持たない人々。同じ人間とカウントすらされない人々。
一方、ストリックランドはいかにもな金髪の妻と2人の子供、イケてる車に愛読書は『The Power of Positive Thinking』といった、ザ・典型的な「アメリカ人」。
この作品はそんなストリックランド(=アメリカ白人)に対して、声を持たないイライザたちが「半魚人」というその場においての最高のマイノリティであり、ある意味「水の形」のような枠に入れられないもの(=自由)を奪い取り戻し、守っていく物語なのです。
決してキラキラと美しいラブストーリーではないのだった。
作品をみて「ものすごく生々しい」と感じたのはこういうリアルさだったのかな。
メキシコ出身のギレルモ・デル・トロ監督が、現在のトランプ政権下のアメリカに投下した作品がこの『シェイプ・オブ・ウォーター』であることに、アカデミー賞作品賞の重みを感じるのでした。
イライザは人魚だったの?
最後に、ラストシーンについて!
半魚人が銃で打たれたイライザを抱いて海へ飛び込み、水中でキスをするとイライザの首の傷がエラに変化するというこのシーンなのですが、「なんてロマンチックなの…!!!」という驚きと共に「いったいどういうことだったの…!?」というパニックにも陥りる私。
同行者と議論した結果2つの説が出てきました。
1・イライザは陸に上がってきた人魚だった説
これは映像を全て実際に起きた出来事として見ていた私が一番に感じた説…!
イライザは元は人魚であり、生まれてすぐに陸に捨てられて人間として生きてきたのだけど、王子様(半魚人)のキスによって真の姿になれたというファンタジー展開かつハッピーエンド…!
人魚姫は声を失う代わりに人間の姿になるけれど、その人間たらしめるものは「足」。靴の必要な足なのです。
一方でイライザの赤いパンプスは、脱げるのです。
まるで靴が必要ではなくなった=人魚になったことを表しているような…気がしませんか…!気がしますね…!ね!
・イライザは死んでしまった説
これは同行者に言われてハッとなった説です。
イライザが銃で撃たれ、海に消えたところまでが現実で、それ以降は語り部の想像した物語であるというもの。
ラストシーンに語られた「彼女たちがどこにいったかはわからない けれど愛だけは本物だ」というセリフ(曖昧でごめんなさい;;)に、具体性がなく、「僕の想像だけどね!」というニュアンスを感じるという…
上記の想像をしていた私はハッとすると共に、しょんぼりするのでした。
バカと言われるのを承知で書くと、正直ラストシーンまでイライザの傷は過去に半魚人によってつけられたのではないか説を推していた私。
ラストシーンは感嘆の声をあげてしまいそうほど衝撃を受けました。いやあ良かった。
本当のところはわからないけれど、その先を想像させる終わり方も、おとぎ話というか絵本みたいだなーと思うのでした。
終わりに
正直、観終わった直後はあまりの生々しさとバイオレンスな悲惨さに圧倒されてちょっとショックの腑抜け状態だったのですが、時間が経てば経つほど自分の中に落ちてくるものがあって、考えることがあって。
好きかと聞かれたら、手放しで好きとは言えない。
あまりに辛かったので軽率に2度は観れないけれど、その必要もないくらいにどのシーンも目に焼き付いています。こんなじわじわくる作品、あんまりないかも。
「美しかった」といってしまうのは簡単だけど、それだけじゃない。
きっとこの先もこの映画のことを思い出しては色々な感情が浮かんでくるんだろうなと思う、そんな作品でした。
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